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樽焼酎の「色規制」ルールが決められたのは昭和37年(1962年)。と、いうことはその頃すでに「樽焼酎」があったんだと考えられます。
焼酎の「色規制」「着色度規制」や「光量規制」とも言われます。酒税法および酒類行政関係法令等解釈通達の「樽焼酎」は「430ナノメートル及び480ナノメートルの吸光度を測定し、その着色度がいずれも0.08以下となるもの」とされています。
分かり易く言うと「樽焼酎はウィスキーより色が薄めで、光を当てた時に多く透過できないとダメですよ」という意味。もっと簡単に言うと「樽焼酎は色を薄くしなさい」ということです。
引用元「我、唯「樽」を知る」
見つけました。最古の樽焼酎。
鹿児島 小正醸造 【メローコヅル】ラベルにsince1957の文字。
1957年=昭和32年。ルール制定の5年前です。
早速、小正醸造さんに確認すると「ウチが一番古いはずです。」との事。よっしゃ!
メローコヅル磨 720ml | 樽物語 -樽焼酎専門オンラインショップ- (taru-monogatari.jp)
「樽焼酎の誕生物語」を教えて頂きました。
小正醸造の創業者「初代・小正嘉之助」がヨーロッパのウィスキーやブランデー、沖縄の泡盛の一部は長期貯蔵させる容器に木樽を使うことを思い付き、アメリカからオーク樽を取り寄せたとか。
昭和26年から樽熟成開始。その後6年貯蔵で初の商品化。
昭和26年というとまだ戦後6年しかたっておらず、焼酎づくりの原料は配給制。
作った焼酎を全部売ってしまわないとお金が回らないような中での「樽貯蔵」は家族から大反対だったそうですが、小正嘉之助の「好奇心とチャレンジ精神」から生まれたのではないか、とのお話でした。
当時値段はいくらだったのか?とか、評判はどうだったのか?とか、昭和32年の「色規制」が決まった時はどうだったのか?また当時どのようにして色を薄くしたのか?など、疑問は尽きませんが残念ながらそこまで詳しくは分からず、国鉄の駅や温泉街でお土産として売られていたとの話が残っているだけでした。
但し「色薄め」の方法に関して面白い事が分かりましたので次に続けます。
樽焼酎はどうやって色を薄くしているのか?という事に関してです。
郡司 佳明
ソムリエ、チーズプロフェッショナル、球磨焼酎案内人
お神酒と言えば「焼酎」のコトの宮崎県日南市出身。
「樽焼酎はもう一つの日本ウィスキー」をテーマに 2021年51才 樽焼酎専門サイト「樽物語タルストーリー」を立ち上げる。
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